1.水谷清佳(大阪市立大学大学院 M1)

ソウル大学路・マロニエ公園で活動する
ストリートミュージシャンの現状と歴史

発表概要

調査について
 予備調査の結果、ソウルの江北地域(漢江を中心とした北部地域)では大学路のマロニエ公園にストリートミュージシャンが集まることが明らかになった。そこで対象地をマロニエ公園に限定し、ミュージシャン・観客及び公園の利用者・管理者への聞き取り調査と演奏風景のビデオ撮影を中心に行った。
マロニエ公園の歴史
 1929年4月5日京城帝大(現ソウル大)が開校し、この時植えられたマロニエの木が公園の象徴となっている。1975年大学の移転の翌年、文芸振興院が物理大のある場所をマロニエ公園として指定した。1979年にはマロニエ公園周辺に文化会館、美術会館が建設された。マロニエ公園ができた1985年〜1989年までソウル市は大学路を“週末車の通らない道”とした。祭りと公演、市民の余暇と休息の空間として大学路は開かれた。
マロニエ公園で活動するストリートミュージシャンの現状
 調査期間中活動を行っていたミュージシャンの年齢は21歳〜65歳と幅広いが、13人中11人が30代以上の男性であった。また活動年数も初めて〜14年(公園開場年)と様々であるが、30代以上のミュージシャンの半数は10年以上活動を行っている。活動日時は歌うことで募金収集を行うY氏、ホームレスのS氏はほぼ毎日活動しており、それ以外は1、2回公園を訪れていた。彼らは現在でも民衆歌謡を一般歌謡として歌ったり、Y氏においては「14年間同じスタイル」という独自のパフォーマンス構成で活動を行っている。
マロニエ公園におけるストリートミュージシャンの活動史
 “週末車の通らない道”で歩行者天国と化した80年代の大学路には、大学生を中心に若者が輪になって酒を飲みながらギターを弾く光景があちこちで見られた。また5線6弦、スワジン、サランノレ、タソム、サントゥスといったグループが活動を行っており、彼らは民衆歌謡(抵抗歌)と呼ばれる歌を歌ったり、チョー・ヨンピルの歌を歌って活動していた。90年代後半になると「若者の音楽文化がギターからダンスミュージックに変わった」(30代,ギター)ことからストリートダンサーが出現し、ミュージシャンの数が減少していった。現在の大学路は「若者の音楽の場所ではない」(20代,中古CD販売)という言葉からわかるように、若者は弘大(弘益大学校)前に集中するライブカフェなどでバンドを組んで活動を行っている。
まとめ
 現在の大学路では新たな若者文化が更新されておらず、14年前の音楽と5年前のダンスが今もなお行なわれている。この文化は新世代へ引き継がれているわけでもなく、彼らは大学路以外の場所を文化拠点とし始めている。そこには若者の嗜好がギター音楽からダンス音楽、バンド音楽への変容と屋外から室内という移り変わりをみることができる。若者の音楽活動を通して、韓国文化の移り変わりを読み取ることを今後の課題としたい。
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2.中川裕美(中京女子大学 特別研究員)

少女雑誌にみる『理想的少女』イメージの変遷

発表概要

1.研究の枠組み
 1.1 研究の目的
 本研究は、明治・大正時代から戦後にかけて発行された少女向け雑誌を分析の対象とし、少女を読者とする雑誌メディアが「理想的な少女」をどのように規定していたのかを明らかにすることを目的としている。また分析の結果明らかになった「少女」概念形成のプロセスを、わが国全体の社会的文化的推移と比較考察することも目指している。
 1.2 研究の手順と方法
 具体的には、以下のような手順で研究を進めた。
 まず、わが国における少女雑誌の誕生と発展を出版メディア史の中で捉え、その歴史的推移を概観した。そして、数多く発行されていた少女雑誌の中から、明治・大正期から第二次世界大戦後まで発行された『少女の友』(実業之日本社)と、『少女倶楽部』(大日本雄弁会講談社)を取り上げ、その詳細な歩みをたどるとともに、両誌の編集方針の推移と変容を調査した。分析には両誌の各年1月号を取り上げた。その結果、「少女雑誌」というメディアにおいても軍国色が強まるといった時代の流れの影響が認められ、さらには政府の規制の対象となることで内容を変化させてきたことを明らかにすることができた。
 次に、『少女の友』と『少女倶楽部』が描いてきた「理想的な少女」の姿を「内容分析」によって明らかにすることを試みた。分析の対象を有識者や編集部が直接少女に語りかけている記事に限定し、それを「おことば欄」と名付けて分析の対象とした。
 分析方法は、テキストを質的に分析するのではなく、メディアに現れたメッセージを計量的に明らかにする「内容分析」を用い、「おことば欄」に表出する「理想的な少女像」についての語彙の集計を通じて、各時代の「理想的な少女像」について分析・考察を行った。

2.結論
 分析の結果以下のことが明らかとなった。
 第二次世界大戦以前、「少女」は「少年」と同じように国家社会・親・弟妹などを背負い、勉強や修養に励まなければならないとされていた。その傾向は戦時下においてより顕著に現われ、戦地にいる父・兄弟の代わりではあったが、「少女」は「第二の国民」として国家を担う存在として位置付けられた。また「子どもを産む性」として国家の将来に関わる役割も求められていた。
 しかし、こうした「少女」像は、戦後になると大きく変化することとなった。国家社会との関わりにおいて「少女」が語られることはなくなり、「勉強する」や「修養する」といった大目標が消え、その代わりに「少女」は可愛さや優しさのみを求められるようになったのである。
 これらの結果から、現在の我々が「少女」に対して持っている「可愛く、非主体的で、無責任な、そして守られるべき存在」という共通イメージは、戦後以降に新たに形成されたものであることが明らかになった。また少女雑誌の編集姿勢も、戦前は「教育」「修養」という色彩が濃く見られたのに対し、戦後になると「娯楽の提供」が圧倒的な比重を占めるようになるのである。
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